管理職を自ら辞めることにした

管理職を自ら辞めることにした


2019年1月、私は自ら管理職の役職を降りることにしました。
自らとは言っても、自分より上の役職者によって承認されなければ勝手に降りることは出来ないです。

先日、部長と社長にそれぞれ相談しました。
さらに3者で話し合いをした結果、降りることが決まりました。

なぜ自ら降りることになったのか、経緯や思いを忘れない為にも、そして、これから管理職になるであろう人たちの参考になるかもしれないので、ここに記しておきます。

1.きっかけはうつ状態になったこと

きっかけはうつ状態になったこと

 

1年半前に初めての鬱を経験

2017年8月、私は初めて鬱状態だと自己認識しました。
倦怠感、やる気のなさ、そして手が震える状態となったんです。

すぐに病院に予約の電話をしたがなかなか空いていない様子。
病院に行くまでに休んだり、仕事が忙しくなかったこともあって1ヶ月ほどで回復しました。

回復と言っても以前の状態までには至らないわけで。
エネルギー溢れる感覚には戻りませんでした。

しかし、そうは言っても仕事をしなければ生きていけません。
家族もいるし、家のローンだってあります。

ある程度は回復したので、そのまま仕事は続けてきました。

 

2度目の鬱状態は2018年の5月

しばらくは状態も維持できていたので、このまま回復するものと思っていました。
しかし、2018年の5月、連休明けの2日目に症状が再発。

手の震えこそなかったものの、何もやる気がしない状態は本当にヤバい。
ぼんやりとだが生きたくなくなるような感覚に襲われます。

この時は月末に1週間ほど会社を休んで回復に努めました。
最初の2日間は何もせずぐうたら、その後は家事をしつつブログの記事を書いたりなど。

楽しいはずの行為も楽しいと思えない感覚になっていて。
無理はせずに、やりたくなったらやろうというルールが自然と出来ていました。

1週間の休みを取ったものの、その後も回復はイマイチ。
働くことは可能になったので、状態を維持することを意識しながら過ごすことにしました。

 

3度目は突然やってきた

6月以降は徐々にだが順調に回復していました。
そして2019年1月、月初より出張があったんです。

行く前から過酷な出張であることは分かっていました。
忙しいながらもなんとか乗り切って、18日までは順調に、そして達成感も少し感じていて。

出張は21日までだったが、19日以降の3日間で私の心は砕けました。
砕けたというより貫かれたという表現の方が正しいかもしれません。

社内の作業を部下に頼んでおり、やることをやったのか確認は都度していました。
しかし、蓋を開けてみたらやっていなかったと分かる状態だったのです。

私が確認したときに「やった」と言っていたことは「やっていなかった」のです。
そして「やっていなかった」ことに罪悪感を持っていない行動、言動を彼らはしていました。

彼らというのは、3名の帯同していた部下のこと。
これには本当にがっかりし、今までの指導やコミュニケーションが無に返ったような感覚に襲われました。

そして、私の心は何かに貫かれたのです。

 

2.貫かれた瞬間に決まっていた

貫かれた瞬間に決まっていた

 

”のれんに腕押し”か”糠に釘”か

私の心は何に貫かれたのか?
裏切られた感覚か、と問われると「違う」と答えられます。

では何に貫かれたのでしょうか?
列挙してみたがどれもイマイチしっくりときません。

・誠意のない態度
・熱意の感じられない仕事ぶり
・嘘をつかれたこと
・自分の指導の無力さ

どれもしっくりこないが当てはまってもいて。
複合的なものなのかもしれません。

日ごろ、常々感じていたのは”のれんに腕押し”または”糠に釘”という感覚。
何でだろうと理解出来ていなかったが、この時の彼らの態度や言動からはっきりと分かりました。

英語を学ぶ気がない人に英語を教えてもほとんど覚えません。
そう、彼らには仕事を覚えるという気が、教わるという気が初めからなかったのです。

なのに私は一生懸命に指導していました。
1人で空回りして、1人で疲れただけでした。

 

誠意や熱意のない仕事には仲間意識も芽生えない

誠意のない態度や、熱意のない仕事ぶりでは仲間意識は芽生えません。
3名の部下、帯同していないもう1名の部下も加えて4名の部下とは仲間ではなかったことは推測ではなく事実です。

そして、同行していた他部門の”仲間”からも彼らは冷ややかな目で見られていました。
自分たちは何のために一生懸命頑張ったのか、というような愚痴を私にこぼしたのです。

みんなで目の前の仕事を完遂しようと尽力していました。
なのに、完遂しようとしていない人たちがいればがっかりするに決まっています。

他部門の仲間には「申し訳ない」という気持ちでいっぱいでした。
同時に「20代半ばの若者はこんなものか」という気持ちもいっぱいになりました。

 

もう無理せず管理職を降りよう

20代半ばの若者と私では一回り以上も年が離れています。
生きてきた時代も違うのだから価値観も違うのは当たり前。

彼らの感覚は彼らの間ではありきたりな、当然な感覚なのかもしれません。
しかし、その感覚を理解できるかと言うと、理解することは難しい。

心が貫かれた瞬間に、ほぼ心の中は決まっていました。

「もう管理職は降りよう」と。

管理職を降りたら年収は激減します。
家族もいて住宅ローンもあるし、経済的には管理職を降りれば厳しくなります。

残業代はつくようになるものの、現状の体調ではバリバリ残業は難しい状態。
多少の葛藤は自分の中でもあったが、それでも心の中は決まっていました。

 

最悪なのは働けない心と体になること

多少の葛藤はあっても心の中はなぜ決まったのか。
それは、最悪なのは私が働けない心と体になることだから。

最悪さえ避ければ、厳しい状況になっても何とかやっていけます。
やっていける道を見つけて、その道を歩むしかありません。

初めて鬱になったときと違うのは、会社員としての給与以外にブログからの収入があること。
これは私にとって一つの光であり希望です。

細々と会社員を続けながら、希望の光を少しでも大きく輝かせること。
しばらくは厳しいけれど、信じて突き進むしかないという”覚悟”はできました。

 

3.妻と上司と社長と

妻と上司と社長と

 

帰宅後に妻に相談

出張から帰った日は私も疲れていて相談できませんでした。
翌日に午後から休みを取って、帰宅後に妻へ事の経緯と今の思いを伝えました。

妻から「まあ、働けなくなるわけじゃないから大丈夫だよ」と言われて。
『最悪なのは働けなくなること』という認識はお互いに共有できたかなと。

何が起きても、どんな状態になっても前を向いて進むしかないんです。
それしか道を切り開く方法はありません。

妻は続けて「次男も保育園に行くようになれば私もまた働くし大丈夫だよ」と。
彼女と結婚して本当に良かったと思いました。

面倒に巻き込んで申し訳ないという気持ちになりました。
と同時に、ここから何とかして彼女に楽をさせてあげたい。

私の心はそんな気持ちでいっぱいになったのです。

 

上司と社長に相談

上司には以前からちょっと考えてるような趣旨の話はしていました。
今回の出張であったことを伝え、加えて社長にも意見を伺いたい旨を伝えました。

上司からは一旦降りて、まずは体調を整えようと言われました。
私も同感で、そうしたいと思っていると返答。

つぎに社長へ今回の件の報告と、管理職を降りる相談をしました。
社長は管理職を降りる相談については驚きを隠せない様子。

が、1時間ほど詳細について話をしていく中で「そうか」と納得してもらえました。
その後、社長、上司、私の3者で話し合いをして4月からは役職を解かれることが決まりました。

 

妻には感謝しかない

社長、上司は私の希望通りにしてもらえたことは感謝しています。
取り様によっては私の我がままとも言える内容だけれど、理解してもらえてよかったです。

そして妻には本当に感謝しています。
協力してやっていこうという趣旨の言葉があったことは私に勇気を与えてくれました。

楽をさせてあげたい、という思いが益々強くなりました。
実現のためにまずは回復して、その後に実現へ向けて行動します。

必ず目標を達成する、その為に今は力を蓄える。
私と結婚して良かったと思ってもらえるように、全力を尽くすとここに誓います。

 

4.さいごに

さいごに

 

残念ながら管理職としてやりたいこと、達成したいことはあまりできませんでした。
まだまだアイデアもあったが、これは封印されてしまうでしょう。

これからは人を選んで、仕事を選んで働いていきます。
ある意味では断捨離が出来たと考えることもできるわけで。

管理職を降りることが決まったら、ほんの少し心は軽くなりました。
関わらなくてもいい人とは関わりたくない。

思い返せば、危ない人、自分にとってデメリットしかない人は避けてきました。
今までも一緒に頑張れる人とやってきたのです。

私ができることは一つ。
今できることに全力を尽くす。

明日からは気楽に笑って過ごせそうです。

 

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