エンジニアの現実と小悪党が生まれるまで|製品は誰のためにつくる?

エンジニアの現実と小悪党が生まれるまで|製品は誰のためにつくる?


ものづくりの現場をクローズアップしたドラマも流行っており、ものづくりに携る私としては嬉しい。

もっと、ものづくりの現場の大変さと、製品に向き合う誠実さなどを拾い上げてほしい。
世の中に少しだけでも分かってもらえたら大変嬉しい。

だが、残念なことに現実には”とりあえずお金さえもらえればいい”という人たちがものづくりに関わっていることも事実としてある。

私はものづくりに携って約20年。
市場に出回っている製品の生産ライン(装置)や防衛産業にも携る身として、ものづくりに思うところがある。

先に断っておくが、人の意見などただのエゴでしかない。
だから、私は自分の思うところを書くことは少ない。

ただ、その思うところに共感する人もいるかもしれない。
もちろん、それは違うという異論もあって当然。

私のエゴであることを承知の上で読み進めてほしい。

1.私の現在について

 

読む上で、どんな者が書いているのかは大事な情報である。
私の現職については以下の通り。

  • 現職の”ものづくりエンジニア”
  • 各省庁、自治体、他民間企業の開発案件が多い企業に勤務
  • 開発 ⇒ 量産装置にも関わる
  • 職務は電気設計、プログラミング、関連する電気系構造物の設計
  • 現在は管理職、前線にも行くプレイングマネージャー

 

冒頭にも書いた通り、防衛やその他省庁に関連する業務は多数あり、守秘義務で多くは他言できない事柄も多い。
そのため、身内や親戚、友人にも私の仕事を正確に理解している者は少ない。

「なんか電気に関することをやってるらしくて、省庁も絡んでいるらしい」くらいにしか知らない人は周りに多い。
これ以上は業務について語れないこと、ご理解いただきたい。

これから書くことはものづくり全般に対してである。
私の思うところを次の項から記していこう。

 

2.エンジニアの現実と小悪党が生まれるまで

 

全員が高い志を持っているわけではない

”ものづくりエンジニア”は、多くはものづくりに関わりたいという思いでエンジニアになる。
高い志を持った者もいれば、理系分野が得意でなんとなくエンジニアになった者もいる。

高い志を持った者は成長も速い半面、挫折を味わったときの落ち込み度も大きい。
なんとなくエンジニアになった者は、成長は遅いが挫折を味わっても立ち上がるまでは速い。

”ものづくりエンジニア”の全員が高い志を持っているわけではなく、様々な人が”ものづくりエンジニア”として働いている。

 

企業としてのものづくり

利益を考えると断念せざるを得ない品質、機能は多々ある。
全ての製品をフル機能で最高品質には出来ない。

実際のところ、購入者の全員が最高品質を求めているわけではない。
品質、価格、機能などの要素で重要視する部分は人によって違う。

エンジニアも作ったものを売って利益を得なければ生活できない。
常に予算と機能と品質の狭間でもがいている。

ドラマのように綺麗ごとだけでは突っ走れない。
色々とごちゃごちゃした感情の中でものづくりに励んでいるのが現代エンジニアの現実である。

 

志が砕けてしまうと小悪党が生まれる

自分の志をもって励んでいても意見を否定されることもある。
そこには利潤追求という企業としての生存競争が絡んでいることは多々ある。

そんな中で志を砕かれた者の中から「稼げればいい」という人々が生まれる。
元々高い志のない者も「稼げればいい」という思想が生まれる。

「結局、稼げれば問題ないんだろ!」という投げやりな態度もある。
自分の利益のために誰かを犠牲にするのは仕方ないことという考えもあったりする。

社会人として長く経験すると、小悪党とも言える人と絡むこともある。
相手を無条件に信じると、まんまと騙されて痛い目を見る。

痛い目を見た結果、小悪党に落ちぶれる者もいる。
小悪党の共通点は「自分の為だけ」に仕事をしており、相手の存在が欠けている。

こうやって様々な条件の下、小悪党は生まれてしまう。
非常に残念でならない。

 

3.”ものづくりエンジニア”としての志

 

小悪党にならずに生き抜くためには

騙す方が悪いのは当然だが、説得したからといって考え方が急に変わるとは思えない。
今までの経験から形成されているので、自分の考え方ではダメなのだという経験をしないと考え方を変えるのは難しいだろう。

騙される方も見極める力が不足していると感じる。
騙される人は人を信じやすい。

無条件に人を信じるのは素晴らしい心がけである。
しかし、それでは世の中を生き抜いていくのも大変であることは事実。

人を信じることから始めるのが宗教。
本当なのか疑うことから始めるのが科学。

優秀なエンジニアは常に疑う視点を持っている。
本当にそうなのか、その方法は正しいのか、もっと他にいい方法があるんじゃないか。

人を信じることも大事であることは分かるし、疑う視点をもつことも大事。
どちらも大事、だからこそ両方の視点を持って生きていく必要があると感じる。

 

もし小悪党に出会ってしまったら

そして、小悪党に出会ってしまったならば。
不屈の精神であの手この手で対応するしかない。

諦めないでとことん、徹底的に攻めるしかない。
あまりに徹底的にやられると、小悪党は手を引く。

所詮は小悪党、そこまでやられたら割に合わない。
とことんやれば、小悪党にもやられずに済む。

相手に割に合わないと思わせることで小悪党を黙らせる。
とことん正攻法で戦って、こちらの本気を見せること。

小悪党も人間、徹底的に攻められれば逃げ出す。
諦めたら負け、不屈の精神は必要である。

 

誰のための製品なのか?

結局は誰のためにものづくりをしているのか?
志を失くす人の多くは、いつの間にか使う人の為ではなく「自分の為」に作っている人が多く見受けられる。

元々、志なくエンジニアになった者、志を失くした者は小悪党になる確率が高い。
自分の弱さを受け入れることの出来ない者は、自分の能力を示すために売上や自分の利益追求に走っていく。

相手の存在がなくなってしまった者と物は、自分のエゴの実現に変わってしまう。
残念だがこれは現実に起きている。

本来、使う人あってのものづくりだろう。
相手のいないものづくりほど、虚しいものはない。

 

エンジニアの志はどうあればいい?

エンジニアとしての志はどんなものであればいいのか?
あくまで私が常々思っていることであり、全員に共通するものではないことを前置きする。

私は常に使用する人のことを考えて設計している。
製品を使う人を思い考えて設計、製作するのが”ものづくりエンジニア”であると考える。

なるべく、私が不便だと思うものは作らない。
これは「人にされて嫌なことは人にしない」という幼少期に教えられたことに基づいている。

「こんな製品は嫌だな」と思うものを設計しないことは基本としている。
しかし、要求する相手が高品質、高機能より価格を望むのであれば除外して考える。

相手の予算もある中、予算内で可能な”最高”を届けたい。
私の作業速度が速くなれば、多くの設計(機能)を盛り込むことができる。

除外しないこだわりは、安全に関するもの。
何事にも安全は最優先されるものであり、安全性の確保はエンジニアとしての使命とも感じる。

ものづくりへの思いがスキルアップ、製品の品質や機能アップにつながっていく。
相手の存在があって初めて製品としての価値が生まれる。

その時々で自分の能力をフルに発揮した製品の機能、品質を実現する設計をする。
こだわりを持ちつつもユーザーの求めている製品を作るのが”ものづくりエンジニア”の志の在り方のひとつと考える。

いつの時代であっても相手のある仕事をして生きていきたい。
ブログなどのWEB上のコンテンツも同じであると考えている。

 

4.さいごに

 

随分と偉そうなことを書いてしまった。
素直に思っていることを書いただけであり、他意はない。

書いたことは所詮エゴであり、私だけのものであって他人に押し付けるつもりはない。
これを読んだあなたも思うとおりに生きればいいし、あなたのエゴで構わないと考える。

私も常に志を忘れずに出来ているかと言われれば、そんなこともないかもしれない。
時々、ふと立ち止まり、振り返り、そして前へ進むことを繰り返すことが大事だと考える。

相手あってこその”ものづくりエンジニア”でありたい。
そして、高い志をもった””ものづくりエンジニア””の多い国であってほしいと願う。

これだけは切に願う。
このページを読んだあなたには小悪党になってほしくない。


 

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